ASCII ART

 

 

***

 

 

全世界でコロナウイルスが大ブームだ。僕はほとんどニュースを見ない。サウナで垂れ流されている夕方の報道番組を見て、「クラスター」の意味をなんとなく知ったに過ぎない。

 

 

その分Twitterをよく見ている。しかし最近はSNSを見ることも減ってしまった。生きる上でSNSがあまり必要なものではないという思いを友人が少なくなってから思い始めている。

そりゃ友人が多い頃は必要だった。SNSという名の別世界と、現実の、肉体を有する世界の間の亀裂を無くして、自分自身の存在を他者と、そして自分自身も明確に測ることにおいて、この上なく便利なツールだった。

 

 

しかし最近はあまりにSNSで「人(にん)」を上乗せして言葉を吐き出す人が多い。140文字しかないにも関わらず、そこに見え隠れする「不器用な人間」のバックボーンが重すぎて吐きそうになる。僕はそこそこ器用に生きられる人間だから、不器用な人間が大嫌いだ。

 

 

生き方が下手なことを正当化する劣性種が最近のSNSでは強すぎる。まあそれは、何に関しても「不謹慎」と唱える輩が増えすぎたことが、一つの原因だと考えられる。こういう奴らも大嫌い。

 

 

こういった人は「不謹慎」を盾にして、自分に都合のいい仮想の世界を作り上げる。皆を同一化し、そぐわない意見を断罪する。不謹慎と「ネットリテラシー」の相性が最悪なことを知らずに、自分の見方を押し付ける。

 

 

加えてこのような人がそこそこ注目を浴びる世界がSNSには存在する。力の弱いもの同士が「1つの世界」を相手に、好き勝手に吠えることができる。「1つの世界」は何も言い返さない。強さと弱さを履き違えている、SNSを井戸端会議と勘違いした輩はますます力を持ち始める。井の中の蛙に過ぎないにも関わらず、だ。

 

 

僕は最近「時代の寵児」や「革命児」などと呼ばれる実業家の顔が本当に怖い。

21世紀に新しい価値観や考え方はそんなに生まれないと僕は思っている。しかし彼らは一つの価値観や考え方を提示し、それが多くの人に受け入れられている。その時に彼らを目を見ると、どうしても彼らから漏れ出る「生存本能」を強く感じる。僕が時折言う「生物学的強者」の雰囲気を醸し出している。

僕は世が世なら、彼らは犯罪者になり得たと思っている。そのくらい「生」への欲求が強い存在を見ると、僕はいわゆる「蛇に睨まれた蛙」である。

 

 

どうしてこんな話をしたかと言うと、今のSNSは、こういった革命児「もどき」が蔓延っているように感じるからである。コロナについてのツイートでも感じる面が多くある。

 

 

先日、親戚をコロナで亡くしたという人が呟いていて、その感染元が呟いた本人であった、というツイートを見た。

その人も書いてたけど、これは一種の「人殺し」であると僕も思っている。人を殺すことにおいて、自覚の有無は刑事罰に関しては大いに影響する一方で、倫理としては重要視されない。「人を殺した」という事実が、なにより中心の議題である為だろう(ここは人それぞれの考え方によるかな)。

 

 

僕は顔も出さず、いまだにのうのうと呟いていられる「人殺し」の意見など、参考にする気は毛頭ない。上記の呟きはその人の罪悪感の塊のゴミ捨て場であり、コロナに対する警告であったが、鼻を摘みたくなるような文言を並べられて本当に腹が立った。

 

 

まとまらなさそうだ。書き殴るようにスマホ画面を叩いているから仕方がない。

 

 

ニュースなんか見なくても、歴史を学べば大体事態の雰囲気は掴めると感じている。しかし、歴史も学ばず、おまけにリテラシーもない上に言葉だけ尖らせる人間が本当に怖い、というお話。

 

 

***

 

あと、この流行病を前にして「ディストピアだ」とか言ってる人がいて、さすがに気持ち悪すぎて頭が痛くなった。

 

 

僕の見解だと、コロナの前からディストピアだったよ、と思います。

 

***