次回は処女性

 

 

眠るときによく見る光景がある。

 

僕は橋の手すりの上に立ってバランスをとっている。目線を下げると濁った水が勢い良く流れ出ている川と歩道がある。

もうすぐそこに風が吹くことを僕はわかっている。それが審判である。その審判に対し、僕は心の奥底で震えながら、今この瞬間眠ろうとしている僕はまだ生きているというメタ的視点も持ち合わせている。そうしているうちに風は吹く。どちらから吹いてきても僕は生きている。

 

こんなふうに「50%の確率で死ぬ」体験を僕は人生で2回迎えている。僕はもうお酒を飲んで大通りを歩くこともなければ、川底に足がつかない位置まで泳がないことも決めている。

 

そうして僕は新しい自分を作り上げていきながら、その過程で死んでしまうかもしれない、そんな刹那的な一生を生きる。

 

でも僕は死ぬなら、昏睡状態にしてもらった上で爆殺がいいな。誰も僕の死を悲しく振り返ることなく、センセーショナルな思い出として残ることを考えたらこの人生も面白そうだな。間違っても糞尿垂れ流しだけは御免だね。

 

「祝え毎日誰かのハッピーバースデー」でありながら「僕の今日は他の誰かが生きたかった一日」らしい。全て運命の前じゃ無力だ。おやすみなさい。