秋の日の女生徒の手から銀杏の香り

 

 

くしゃみを噛み殺す度に、雨粒を弾く屋根を思い出す。心地よくもこの流れがずっと続くのはよくないと心のどこかで思わされる。

 

花粉が飛び始めたと鼻や目が教えてくれた。春先の僕は醜いからあまり人に会いたくない。花粉が収まり、人々の気持ちがうわつき始める夏前。加えて梅雨に感じるいじらしさが、我儘な恋の衝動が実を結ばせるらしくらしく、頻繁にこの時期から恋がスタートする。可憐さと痛々しさは共存しか方法がなく、そんな姿は四季を終えた頃にはおおかた出し切るから、翌年の春にはお別れを迎えるのだけれど。

 

 

今年はお酒を飲む回数を格段に減らしている。安くて美味しいお酒なんかほとんどないし、なによりお酒を飲んだ以降、何かをしようと思えないし出来ない。この年齢にもなると潰れてヘラヘラ笑ってられる人間でもなくなってしまった。

 

僕は友達が少ないのだけれど、その事を好きな女の子に伝えたら「可哀想だ」と言われた。「可哀想な僕」とラベリングして、他人にトラジティを押し付けることは嫌いだけれど、女の子の発言には急激に心が冷えた。軽蔑しそうになって、女の子の好きなところを考えて思いとどまった。少し前のブログに「友達なんてそんなに有益なものじゃない」みたいなダサい強がりを書いてたけれど、友達に大事なのは人数じゃない事ぐらいははっきりと分かっている。こんな「朝が来れば夜が来る」みたいなこと言いたくないのにな。

だけどSNS世代ドンピシャの僕は、長文で相手を否定する事は、少なくともSNS上ではしない。SNSで長文なんて書く奴はオタクかまともじゃない奴しかいないし、オタクもまともじゃない。

「そんなこと言わないでよ、辛いじゃん」

的な事をヘラヘラ返して、また1人になった。

 

 

冒頭の話に戻ると、花粉が飛散しているせいで、最近の僕は基本的に気分が重い。その少し前は寒くて気分が上がらなかった。冬の風は目に見えないのに悲しさを感じさせる。傷つけたくないものを傷付けている二面性を感じる。そんな事、傷つけられてる僕自身は知らないこと。だから嫌いだ。加えて今年は女の子と手も繋げなかった。スプーンもフォークもあるのになぜ料理が出てこないのだろう。

 

 

何書いても面白くない。「日々に刺激が欲しい」とか僕が言い出したら殺して欲しい。だけど物語で使われないような1日を、毎日過ごしているのも、それはそれで面白くない。痛くないように生きる事は不可能なので、せめて痛くないように殺してほしい。