発症しました

 

 

僕は本当は何がしたいんだろう?という疑問が浮かんでしまって、もうそれが浮かんだ時にはすでに僕の一部を蝕んでいる。

 

これが今回のコロナウイルスの影響で出た、僕の内的病気の一つ目なのかもしれない。

 

緊急事態宣言が解除され、少しずつ外に出ることが許されるようになってきた。しかし依然として街にはマスク姿の人が多く、皆が夏の鬱陶しさを心に抱えてマスクをしていて、どこか鬱々とした気持ちがマスクから漏れ出ているように感じる。かといってソーシャルディスタンスは特に守られることもなく、そこそこの混雑を生み出している吉祥寺の街を僕は歩いていた。

 

隣にはここ最近仲良くなった女の子がいる。深緑のサマーセーターは、やけに胸が強調されていて、ヒールを履くとほとんど僕と身長の変わらない彼女の横で、僕は少し肩を落としながら、今日のデートがどこか「違和感」を抱えたまま終わってしまうことを予感していた。

 

この日はいつ雨が降ってもおかしくない不安定な曇り空が頭上を覆っていた。しかしそれでも蒸し暑く、僕たちは適当な純喫茶に涼みに行った。

僕はチーズケーキとカフェ・クリームを、彼女はプリンとアイスコーヒーを頼んだ。互いの仕事の話や、読んでいた本の話など、他愛もない話をしていると、背中に感じていたじめっとした汗が少しずつ引いていく。

この時の僕はもう、自分に自信がないモードに入ってしまっているから、彼女の目を見ることはほとんどできない。話している時にどこを見たらいいのか分からなくなる。

そして会話が止まる。この瞬間がすごく困ってしまった。そしてそれと同時に僕は諦めてしまった。僕のそんな姿を見て、彼が笑いながら話しかける。

「好きでもない女の人とデートするのやめなよ」

余計なお世話だ。まだ、何かが、あるかもしれない。

 

すっかり汗もひいた頃、僕たちは外に出て井の頭公園へと向かった。土曜日の昼下がり、公園には本当にたくさんの人がいた。そのほとんどの人たちが「何らかの目的」を持って、そこに集まっていた。子供は体を動かし、両親はそれを見守る。ベンチに座り読書をする男性。レジャーシートを敷いて、大きな声で笑う女子大生達。ジョギング。ウォーキング。

僕は目が回るようだった。目的も持たずに、何かに導かれることもなく、ただ歩みと時間を止めることを恐れて、逃げるように到着した僕とは違った笑顔がそこにはあった。

池では沢山のスワンボードが所狭しと動いていた。僕はペダルを漕いで笑う子供を橋の上から眺めた。心にさびしさが吹いた。

 

公園をゆっくりと散歩した後、まもなく雨が降ると予想し、駅近くの居酒屋でご飯を食べることになった。

 

僕はお酒を飲んだ僕自身が最近どんどん嫌いになっている。じゃあお酒を飲まなければいいのだけれど、いつもいつも素面でいると、本当に周りと波長が合わなくなる。そうするとお酒を飲んでいないのにダウナーになってしまって、もう逃げられなくなる。

 

レモンサワーを飲み続け、適当に料理をつまむ。もうこの頃には会話はすでに出涸らしになっていて、だけどそんな僕を赤らんだ顔でニコニコと見ている彼女を目の前にしていると、僕の間違いを突きつけられているようで、僕は早く自分の殻に閉じこもりたくなってしまう。

「注文したレモンサワーは、口を隠すために使うんじゃなかったのかい?」

彼がまた冷やかしにやってくる。

「隠す必要はないでしょ、僕は別におしとやかで自分を売ってるわけじゃないんだよ」

「良妻賢母線があることを彼女が喜んでる時、君は吐きそうな顔してたよ」

「それを隠すためにはジョッキサイズじゃ足りないでしょ。だから僕はバケット食べてただろ?見てなかったのか?」

「無理してるお前を見てると、僕まで吐きそうだったんでな」彼は手を叩いて笑っていた。

 

そこから僕はハイボールを挟み、ジントニックでゆっくりと締めに入っていった。都の条例で全席禁煙になった事で、グラスが空になっていくばかりだった。

「おいおい、お前飲み過ぎだよ。これだから喫煙者ってやつは…」

「僕は彼女に気を遣って飲むペースを合わせることなどしないよ。そんなの、楽しいわけないだろ」

「こいつ酔っ払ってるな、話が噛み合わない」

「確かに僕は少し酔っ払っている、それは認めよう。ただし僕が口寂しいのはタバコのせいじゃない。

お前が現れて笑うから、もう彼女は煙みたいなものだろ?そろそろ押し潰されて、僕はそれをすぐに忘れてしまうんだよ」

「おーい、青黒いスパイラルにハマっていってるぞ、帰って来いよ」

お会計お願いします、と言う僕の後ろで歯を食いしばりながらも漏れ出る彼の笑い声をずっと聞いていた。

 

「じゃあまたね」

「うん、楽しかった。また近くに来る時は教えてね」

「うん、ラインするよ。今日はありがとね」

「じゃあまたね」

「うん、帰り道気をつけて」

言葉以上のものは何もない。脳の記憶を司る部品が彼女の表情に対して反応し、僕に適切な言葉を発させていた。ただそれだけだった。

 

最寄りに着くと、レモンサワーを持った彼が改札前で座り込んでいた。

「おつかれ〜」

「おつかれってお疲れの時に言われると、腹が立つものなんだな、教えてくれてありがとう」

「デートは疲れないだろ。突くだろ」

「今のお前の発言の方が今日より面白いよ、そう感じる自分に驚いているよ」

「楽しくない女と飲みに行くなよ」

「まだ楽しくなかったとは言ってないだろ、あと、そんなに爆笑するほど面白い事は言ってないんだよ」

「君は病気なのかもしれないね」

「お前がいうならそうだろうな、不確定なことだけが引っかかるけども」

「僕はお酒を飲まないし、デートもしないからね。僕は君と一緒にはいられないから、100%病気だとは言えないよ。

「いまこんなに会話してるのに?」

「今やっていることは会話じゃない。お前はマッチングアプリにサクラがいることを知らなさそうだな。」

そう言って歩き出そうとした彼は思い出したかのように、僕が家に忘れてきていたiQOSを突き出した。

「要らない、紙タバコ買うから」

歩きタバコをする彼を蔑んだ目で見ながら、僕たちは家に向かって歩いた。

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***

 

僕はデート中にこんなことを考えているらしい。彼の言う通り病気なのかもしれない。

 

でも僕はもう決めてしまった。会いたいと思わない人と会うのはやめよう、と。

そして僕が会いたいと思う人にはその想いを遠回しにでも伝えよう、と。

時間も歩みも止まらないから、僕はそのペースにせめて等速にでもついていきたい。無理だったら秒速5センチメートルでもいい。進んでいれば何だっていい。

 

僕には一生でもう一度だけ会いたい女の子が2人いる。でも僕はその子らの今を何も知らない。もう15年にもなるその想いを叶えるために、好きでもない人と会っている暇は少しもないと分かった。