泥だんご

 

 

マスクが季語にならない世界で愛の具象も汗まみれ

 

息を吹くと糸が解けるように待っていくたんぽぽの綿毛に、心踊らなくなってから何年が経ったろう。

 

僕は自粛期間中に、自分自身の様々な原体験を綴っていた。僕が虐められていた時のことや、無我夢中になって楽しめるものを見つけたときのこと、異性を意識しはじめたことなど。

 

僕はあまり幼い頃の記憶がない。アルバムを見返すこともなければ、写真を撮る習慣もない。格好よく言えば刹那的に生きているのだけれど。

 

思えば両親に絵本を読んでもらった覚えも、ヒーローに憧れた覚えもない。僕は小学生の頃、暇な時間に何をしていたのか、自分でも思い出せない。

 

このことが大きなコンプレックスとなっている。このくらいの年齢になればある程度の恥ずかしいことや、幼き日の思い出も別人のように話すことができるはず。だけど僕にはそれが出来ない。

 

 

だから、あまりに断片的で語る記憶のないものを少しずつ辿るように当時の無垢な僕を少年というアイドルに落とし込んで、ひたすらに書き続けていた。

 

 

だけど容赦なく僕の元に現実は押し寄せていて、マスクをいつまでも付けたまま、僕はそのまま波へ押し出された。

 

これからの人生を生き続けても、この思い出せない過去はいつまでも小さい腫瘍のように残り続けるだろう。

 

 

 

 

自分自身の少年時代を綴っているときに、僕は生涯の目標というものを見つけたような気がした。でも僕にはそれを達成する手段が未だ見つからない。有象無象である僕には、それが程遠い。

 

 

僕が笑顔を取り戻すことができた、小学3年生の頃の友達2人に会いたい。どこにいるかも分からない。僕は泣くこと以外何もできない。

 

 

 

 

自分への情けなさでしか泣けない自分自身が本当に嫌いだ。僕が別れを告げて、駅前で「今までありがとう」と泣きじゃくる交際相手を見たときに、背負うものがなければ、背負うものを感じることができない体があれば、僕は簡単に死ぬことが出来ただろう。多くの言葉にして表すことのない愛を感じて、それでいて愛を粗末に出来てしまう僕自身をナイフで刺し続け、ここまで生きてきた。

 

何本も何本も刺し続け、僕の後ろには錆びたナイフが連なっていた。互いの間にはエサを運ぶ蟻のような黒い血が染みついている。

 

僕はしゃがみ込んでその血をなぞった。人差し指の先には何も付かない。

 

乾いた大地を自らの冷たい血で潤すことしか出来ない人間に、いかにして幸福が存在しようか。

 

涙で潤った地に一本の木が立ち上がるまで、僕は生き続ける必要があるのかもしれない。

 

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