サイダーガール

 

 

あくまで記録用になんだけど、僕の心にまだこんな無垢な青色があったことに驚いて、どうしても書き留めておきたくなってしまった。

 

 

皆さんが思い思いの年越しを過ごされたと思います。本年もよろしくお願い致しますね。

 

 

僕の大晦日と言いますと、ガキ使を見ながら晩ご飯にお寿司を食べ、その後アウシュヴィッツに関する本を読んで、その後年越し蕎麦を食べた。中盤に少し疑問符がつくけれど、割に理想的な過ごし方だったと思う。

 

その後友人と神社に行く約束をしてたから合流。その近くにある寂れた商店街の時計台の前で年越し。なぜかクラッカーを鳴らしてた。変なのと思ったけど、お祝いごとに水を差すのは当方の趣味に合わない。毒づくのは自分の中だけでいいのよ。

元々合流した男3人と偶然あった女の子2人と一緒に神社に向かって、お参り。昨年の感謝を伝え、今年の見守りをお願いしてきた。ここまでいつものこと。問題はここから。

 

 

端的に結論だけ伝えよう。

初恋の人と遭遇した。

 

 

中学卒業以来、約8年ぶりの再会だった。僕が一方的に惚れてしまっただけだから、向こうはそんなに驚きはなかったのかと思う。

中学時代、3年間同じクラスで、一目惚れしてしまった。目や口、髪の毛、纏うものの全てにおいて、透明感が段違いだった。幼い顔つきに明るい声と小動物のような動き、ギャップとしての中身の大人っぷり、時折出る天然。全てが僕の理想の人だった。あと頭が良い。何より重要かもしれない。

 

田舎の芋臭い中学生だった僕はスマホも持たせてもらえず、高校で離れ離れになる彼女とは連絡先も交換できなかった。

 

 

一言目は彼女の「覚えてる?」だった。その瞬間、中学時代に一瞬フラッシュバックしたような感覚を覚えて、「初恋って薬物のようだな」と思った。大学もろくに行かず、大事なものなんてなかったように思えた僕に、純真さを思い出させてくれた彼女もやっぱり薬物だった。

 

元から身長が低い彼女はあまり変わっていないように見えた。そして綺麗な目や声は、やっぱり何も変わっていなくて、自意識に過敏になりながら、その扱い方に困っていた中学生の頃の自分を思い出して、そんなダサい自分を思い出させられてもなお、中学生に戻りたくなってしまった。

 

 

そこからは互いの近況報告。もちろん8年分なんて語りきれないから、表面ばかりの話。僕は日頃、内面が見えない肩書きの話なんてクソだと思っていたけど、彼女とならいくらでも話していられた。恋人の有無くらい聞いておけばよかった。

 

 

ちなみに僕は中学時代に一度告白して振られている。クラスでもそれなりに仲良くしていた女の子に振られると、次の日の学校は行きづらい。今の自分とは異なるベクトルの自意識が妙に尖りがちな中学生だから。

翌日の朝、彼女から「おはよう」と笑顔で言ってくれた時の喜び、その時の彼女の顔が今でも僕の1ページに大切に存在している。

 

 

やっぱり僕は彼女とは付き合えない。大事にしすぎてしまった思い出の蓋を強引に開くのは、当の本人であるあの子しかいなかった。だけど僕がその思い出、付随する感情と正対した時に中学時代の教室を思い出すことが出来たことに今でも驚いている。綺麗な思い出というピースを、綺麗な背景に収めることが出来た。まだまだ僕の性根も腐っていないやと思い出させてくれた。もしかしたら思い出したのではなく、彼女が僕に与えてくれたのかもしれない。

 

 

来年あの子はまだ生きているだろうか。Twitterで話題になっている「100日後に死ぬワニ」じゃないけれど、僕にとびきり上質かつ希少な「無垢」を与えてくれた彼女が元気に生きていけるか。僕は少し怖い。

だけど、彼女はすごく大きい。心の器のようなものが。もっと良い例えはあるんだろうけど浮かばない。僕なんかとは比べ物にならない大きなダイヤモンドを彼女は持っている。それを少しずつ削って、ラッピングして僕に与えてくれた、みたいな言い方が当てはまるのかな。

 

 

僕は情けない人間だから、多分彼女に何も与えられない。だからこそ彼女から貰ったダイヤモンドを思い出の1ページに添付しておく。失くしたらいけないものを貰ってしまったから。

 

 

帰宅しながら全てのものが素晴らしく思えた。田舎特有の人間付き合いとか、車がないと遊びに行けない田舎社会とか。そして何より地元があるということ。ここに戻ってくれば、僕はまだ純情を持って一生を送れるかもしれないと。都会の汚れた空気を浴びた僕の心が思った以上に腐っていて、そんなことを感じて見上げる夜空は、本当に辺りに街灯がないから、物凄く鮮明に、使い古された例えだけれど星が降ってくるように見えた。

街灯のせいにするのは良くないのかも。僕の心が綺麗になったのかもしれない。

 

 

ただ、大きな優しさだけじゃ人間はつまらない。少しの毒性が大切。だから、来年こそは「連絡先を聞きたい」っていう邪な考えを少しだけ持っておく。塩梅は間違えないように。

 

 

正直な気持ちを書くと、このブログも書き終わりたくない。僕はまだどこかで思い出にしたくないって思っているのだろう。未練がましいと言われるかもしれない。だけど最後にダサいことを言う。2020年だから許してほしい。「十年ひと昔」っていうから、そろそろダサいことがカッコよくなるでしょ?頼むよ流行。

僕はあの子に対しての未練じゃなく、初恋にまだ未練を残している。目に見えて水色の風が体をすり抜けたあの瞬間をもう一度思い出したくて、来年も地元に帰省する。

 

 

次に僕がこのブログを読む時には、もうオリンピックも終わっている。良い一年を過ごそう。

 

 

 

クラムチャウダーみたいな年末

 

 

どうやら僕は会話が下手らしい。「コミュニケーション能力」とかいう、就職活動で頻繁に使われる漠然とした意味の言葉に囚われていないとも言える。知識や雑学に偏重した学びを行なっていると、どうしても人の心まで考えている余裕はない。絶対的なものにしか興味を示さない人間が、機微な心理変化なんか読めるわけもなく。読書なんて役に立たないな。

今年は、1人、また1人と友達と疎遠になっていって、その原因がほとんど僕にあるため、これまで生きてきた中で一番言葉数が少ない一年だった。

教授や数少ない同年代の知り合いから、「もっと人と話しなよ」とか「友達作りなよ」とか言われる。今までそんなことを言われたこともなかった。ましてやそんなこと、言うはずもないし。というかめちゃくちゃ余計なお世話だ。この世界にそんなに話した方がいい人なんていないだろう。僕も何かを話して他人にいい影響を与えられる人じゃない。

 

 

実家に帰ったけど何もしてない。呼吸さえも時々していないんじゃないかってくらいに何もしてない。出されたご飯を食べて、呼吸代わりにタバコを吸っている。次第に、何もかもが準備されている空間に居心地の悪さを覚え始めている。無償の愛に久方ぶりに触れた。

 

 

今年の冬はいくらか現実感がない。この原因は横に人がいないだけじゃないのだろう。自分の中の考え方を、あまりに尖らせすぎた。その結果が前述。外にも出ない人間には忘年会たるものが一個もない。こんなに寒い砂漠があっていいのか、今年の冬はなかなか苛烈だ。

 

 

忘年会ってなんだろう。「一年を忘れるための飲み会」みたいな感じだっけ。毎日、忘れちゃいけないものだらけの人の方が、忘年会を多く開いているような気がする。僕は弱者だから忘れたいことだらけなのに、全くと言っていいほど誘いがない。自分自身のことを弱者側に置くことに少しでも慣れておかないといけないらしい。これが大人になる為のクソださい方法らしいので。

僕の忘年会は、1人で好きでもない焼酎を飲みながら、Xanaxの効用とかNHKの集金人の苦労とか考えてベロベロに酔っちゃうだけなんだろうな。血が出るほど吐いて、翌日に持ち越すのは頭痛と消えない記憶だけで、何も楽しくないんだろう。

楽しくない一年を送った者にこそ、忘年会は与えられるべきではないか?

 

 

『忘年会を楽しめる奴はバカだ。1年間なにも考えずに行動してるくせに、都合よく物事を忘れようとする会を開くことが出来るダサさに目を覆いたくなる。忘れられることと忘れられないこと、それでいて忘れたいものだけを忘れようとするなら、スマホと財布とタバコを持って忘年会に行くことが普通だと思う。持ち物くらいはちゃんと持っておかないと、何もかもが泡沫と化す。』

 

 

改めてブログ開いた時にこんなこと書いてあった。こんなダサいこと言ってる自分に嫌気が差す。自分が呼ばれないからって、強がりがモロに見えてるじゃないか。

 

 

ダサいから女の話をする。僕の好きなリリシストが「女の話をするのは、手っ取り早くMoney作るため」って言ってる。僕も読んでもらうために元カノの話でもするかな。というより、冬といえばデートだから、嫌でも今までのことを思い出す。話さないとおかしい。ラーメンにニンニク入れるようなものだ。

 

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年末なんてのは、もともと何かをするには向いていない。外の刺すような寒さに対して、部屋の中と結び合った僕らが蕩けすぎているから。

クリスマスの夜から2日が経っても、僕は未だに彼女の家から出られない。冷蔵庫の余り物で作ってくれたつまみとビールを飲んでいる。彼女は洗濯をしている。飲み飽きた僕はベットに潜り込む。彼女の家にはタバコを吸うところがない。したがって僕はずっと眠たい。クリスマスデートを終えた後は、タバコを吸うためにコンビニに行く以外には外に出ていない。クリスマスの疲労感が、僕によそ行きの格好をさせることを拒む。

年末恒例のドラマ一挙放送を流しながらTwitterを見ていると、洗濯物を干し終えた彼女が、すでに温められた布団に入ってくる。条件反射で腕を差し出す。さっきも言った通り、何かをするに向いてない時期だから、体を締め付けられながらテレビを見る。時折目が合う以外に語るものが何もない。さっきまで洗濯物を干していた彼女の冷たい指が、僕らの寝床に現実を届けていた。

 

 

ノンフィクションの恋愛なんて、文字に起こせるはずがないんだからこの程度で終わり。というか文字にしたって何も面白くない。面白い恋愛してたら別れてないだろうから。

 

 

満たされないことに慣れすぎて、書くことがなくなりつつある。不満風呂に肩まで浸かったらダメだな。溺れる。

 

 

P.S.満たされてたことなんてあったか?

 

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@princessdreamff

 

 

 

 

酩酊

 

 

家探しってめちゃくちゃだるいんだな。

 

日頃人とのコミュニケーションにおける言語をなるだけ省略してる僕にとって、一から十までこっちが答えないと進まない空間ってのはマジで地獄。おまけに自分が「お客様」として迎えられるのも気持ち悪い。そりゃお客様なんだけど、別に金もそんなにないし、気軽に酒を飲める友達も殆どいないし、おまけに恋人もいない、こんなクソ人間をあまり敬わないでくれよ、と思う。

 

あと、やっぱ社会人ってすごいや。

業界としてそうなのかもしれないけど、不動産会社のスタッフってなんかものすごく気さくだよな。しかも割と年が近いことをいいことに距離をガンガン詰めてくるんだよな。

すごいとは思うけど、ちょっと気持ち悪いなと思った。あんまりプライベートのことは聞かないでくれよ。黙って要求通してくれれば、僕は何も文句言わないからさ。

 

あとは日曜の20:30に電話をかけてこないでくれ。業界の程度が知れるぜ。休める時には休もうな。日本人は働きすぎだよ。

 

 

家を探しにわざわざ赤羽まで行った。新宿駅埼京線ホームは少し古臭くて、汽車でも走るんじゃないかっていう薄暗さが意外と好き。あっという間に汚い街こと赤羽に着いた。逆に綺麗な街があるのかどうか教えて欲しいんだけど。「街が綺麗」にも街を構成する物質としての綺麗さと人間の綺麗さがあって、そうなると全ての街が汚くなる。

11時前という朝とも昼とも言えない時間に赤羽駅に着き、土方に混じってタバコを吸った。別に土方や作業員を見下したりはしないけど、彼らの下品な行動はものすごく嫌いで見下してしまう。薄暗く靄がかかっているように見えて、頭は病室みたいだと、容易に想像がつく。

ノータリンがこの文章に噛み付いてきたら、一発くらいは殴られてやってもいいかなと思う。動物としては勝てる気しない。おまけにこのブログに凶器は出てこないから、普通に負ける。それもまた仕方なし。

 

ある特定の用事がないと入ることを許されないような場所は、その条件を満たす用件をこちらが所持していても入りづらいのは、「自分に自信がないから」の一言で片付くのだろうか。

 

不動産会社に入っても、とにかく居心地が悪い。「相手のことを思って働いています」感を出されると、吐きそうになる。適当に何軒か見せられて感想を求められて、絞って内見して…。あんまり覚えてないや。良心出してます感に泥酔してたのかもしれない。不動産屋なんて濃度高いから。

 

むしゃくしゃして一人で鳥貴族に行った。大ジョッキの金麦を呑むのが流れとしていいのかもしれないけど、僕は知多ハイボールにした。ここで1人でそこそこ酔っ払ってしまった。

 

酒を飲むと1日が終わる。たまに中途半端に酔ってしまって目が覚めることもあるけど。あの感覚かメンタルの不安定な日に来ると、あっという間に何かが変わる(崩れる・噛み合わなくなる・落ちる)。

 

相変わらず面白くない文章書いてしまった。Twitter見たらこうなるんだ。最低だ。

 

 

 

 

世論=自論

 

 

何も自分が社会の中心ってわけじゃなくてね。

「世間は許さないぞ」の世間は「君自身」なんだ、って話ですよ(まんま人間失格)。

 

仮想世界のメインフィールドを今時Twitterにしてる奴なんて、大抵社会の爪弾き者なんだけど、最近そんな輩の発言力が強すぎる。

みんな平等とか糞食らえだよ、マジで。不平等じゃないと、誰も愛することの出来ない猿になっちゃうだろ。

 

しかもなんで有名人とかネットニュースとかにリプ送るやつって大体文章イカれてるんだろう。ネット弱者なのかな。あの独特の文体、線引きわかりやすいからめちゃくちゃありがたいけどね。

 

僕なんて昨年、僕が考えてた人生のレールを少し踏み外したけど、わりかしポジティブに考えている。こういう人間は心の病とかは抱えない。もちろんずっとそうじゃないから口内炎なんかが出来ちゃうんだけど。

大丈夫、留年なんて見方を変えたらステータスだよ。

 

僕が思い描いてた人生と、君が思い描いてた人生はもちろんすごく違う。なぜなら不平等だから。進路選択や将来の夢、趣味や嗜好、その人の全てが未来を作る1ピースになる。

 

僕はこれまで、他人から見たら順調そうな人生を歩んできた。おまけに自分自身もそこそこ順調だと思っている。

 

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最近僕の周りに、元々鬱病だった人が増えた。それは患っていたことを告白できる社会に、少しずつなってきたからではないかと思う。

 

それまでは過呼吸症候群くらいが僕の近くにいる心の病を抱える人間だった。その子は抱きしめてあげないとそうなってしまう、仕方ない子だったな。

 

世の中の人は中庸を求めるけど、僕は何から何まで全て知りたい。知らないでいることが怖い。タブーなんかにも、大きな優しさとほんの少しの意地悪さで触れたい。傷ついたってどうせかさぶたになるから。

 

僕は中庸も異端も全て求める。こんな無責任な発言ができるのは、僕も世の中の人の1人だから。

 

 

 

需要と供給が合わない存在

 

 

タイトルの正解はギャルね。

 

全女の子はギャルになりなよ。別にヤマンバとかいう時代錯誤なことは言わないから。僕まだ大学生だし。そもそもギャルってのは内面性の話ね。

くだらないことに「くだらねー」、面白いことに「おもれー」でいいんだよ。ギャルは正直だから好きだ。だけど不誠実な僕自身も、それはそれで悪くないと思ってる。タチは悪いけど。

 

 

僕は1000円ちょっとの賃金で自分の1時間を売り、露骨なまでの感情労働を行なっている。マジでクソ。ファミレスに1人で来る男、サラリーマン以外は軒並みキモいぞ。謹慎しろ。

 

 

同じ飲食店で何年もバイトしてると、メニューを見るだけで季節を思い出す。これもクソ。

屍みたいなクソジジイの仲間入りみたいだ。

 

季節関係なく外で酒飲んでタバコ吸って、食べたくないなと思いながらラーメン屋入って、結局ゲロ吐いて、帰路、路地裏で1人で音楽聴きながら首振って、家に帰ってまた吐いて寝たい。これこそナウでヤングなトレンディボーイのやることでしょ。

 

 

もう一つファミレスから見る季節感は、昼の短さ。人間って不思議で、暗くなると晩ご飯を食べるらしい。夏は7時過ぎから晩飯食べに来るし、冬になると6時くらいにはもう晩飯食べてる。夜11時にコンビニのおにぎりとカップ麺を食べる僕の気持ちにもなれ。

 

 

僕が働いてるお店は、あまり治安が良くない。ファミレスだからもちろんファミリーも来る。昼時は子供の叫び声があちらこちらから聞こえる。だけど深夜に来るのは墨入った男ばっか。軒並み態度悪いよね。

「墨入ってるんだから、人には笑顔で接しろよ。」

こんなこと面と向かって言えないけど。笑いながら言えば怒られなさそう。

 

 

僕は汗っかきだからこれまで夏が一番嫌いだった。でも今年の冬は嫌いかも。珍しく抱き合って寝る相手がいない。

 

抱き合って、他人と心を蕩しあうと、どうしても残るのは哲学になっちゃう。しかもやけにそれが角ばってしまう。

 

 

自分の存在について考えるギャルってどこにいるんだろ。君はどう思う?

 

「つまんねぇこと言うなよ」

 

そうだよね。正直で助かる。

 

 

さようなら、素晴らしい世界

 

好きなアーティストに川谷絵音がいる。これはもう遺伝子に組み込まれたようなもので仕方がない。世間からバッシング受けた時も割と聴き続けていた。あの人わりとスキャンダルを楽しむ人だからな。

 

ミュージシャンとか俳優が不倫したくらいで、何をそんなに叩くことがあるのか、僕は1ミリも理解できない。

悲しいかな、僕も「1人の人をずっと好きでいること」ができなかった人間なので、と言うのもあるけど、この理由以外で叩いている人の心には、間違いなくどす黒い感情があるよね。妬み嫉みで発言してる時点でもう叩く資格ないよなぁと思う。

 

https://youtu.be/BrwYudRnnYU

 

indigo la Endの「緑の少女」が僕の最初の出会いだった。この曲を好きになった理由は単純。当時の彼女が緑の似合う少女だったからと言う話。ついでにランドセルもめちゃくちゃ似合ってた。この情報いらないな。

この頃はまだ彼の歌が今よりだいぶ下手だったような。ただめちゃくちゃポップな曲調とそれでいて泣きメロな感じがとても好きだった。

 

https://youtu.be/IMU0ctb7E60

 

最近Tiktokで「夏夜のマジック」が人気らしい。どう活用されてるのか全く分からない。見たことないから。ただあの曲は良い。花火したくなる。夏の夜と花火は、ドミノピザとコーラくらい相性いいからな。

 

先月出たアルバム「濡れゆく私小説」の中に入っていた「通り恋」。この曲は凄い。川谷絵音詰め込みまくり。どこか生活感のある等身大の温かさと、それでいて失うことの怖さを綴った歌詞、ファルセット(ミックスボイス?)と耳に残るサビの歌い回し。

 

この一曲だけで映画みたいなパンチ力持ってる。怖い。

 

https://www.youtube.com/watch?v=84zftzaVBOE

 

ちなみにゲスの極み乙女。との出会いは「キラーボール」。indigoにハマった時期とほとんど同じ時期に聴いていた。ボーカルが一緒なことに気づいたのはしばらく経ってからだった。田舎だったからライブとか行けなくてね。

 

最近はジェニーハイだったりもやっててついていくのやっとだけど、それぞれのバンドでやりたいことやってる感じと、そのためのアイデアがどんどん出てくることに怖さを感じますね。

 

でも、僕はindigo la End が1番好きです。やっぱり。あのバンドサウンド川谷絵音の声を聞くとどうしても失ったものの大切さに気付かされて、今あるものを大切にしたくなるんです。

 

あの人がだいぶ前にインタビューか何かで言ってたことで、「大学生の頃に別れた彼女によって歌詞を与えられた」というのが凄く好きです。その頃の恋愛って本当に色んなことを学ぶ気がします。情けないことも泥まみれの姿も晒け出さないと恋愛ができないお年頃で。それが未だに歌詞に落とし込める濃度を持っていることが恐ろしく感じる。

 

どこか歪んでないと良い作品なんて作れない、不完全なアーティスト像をひた走る彼が僕は大好きなんだなぁと思った。

 

 

 

ああいえばこう

 

前回はこちら 

 

2日目、最初は金閣寺

 

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いいスポットで写真を撮るのはなかなかに難しい。10時くらいだけどなかなか人も多かった。

 

どうやら京都観光の1番の目玉らしい。外国人観光客の数も段違い。時折見る修学旅行生。

「めっちゃでかい!」と驚く高校生。金色のところに触れろよ。

 

首里城のニュースを見ると、どうしても金閣寺を思い出してしまう。美しいものはその状態を永遠に保持することはより不可能になる。女性と一緒らしい。

自らの中で金閣の過去と未来の全てを見知った気になって、全てを取り込んだ気になって燃やしてしまった青年僧のことを思う。曖昧な「美しさ」なんてものを全て知った気になるなんてまだまだ早いよな。変わっていく美しさもあると思う。女性と一緒で。

 

あとは何より世界遺産が破壊されることに、大きな悲しさを覚える。伝統を守っていくことに大事なのは一人一人の考え方だけなのだから。

 

街の小学生が金閣寺に訪れた外国人観光客に対して英語でインタビューしていた。片言の英語に対し、外国人は皆、にこやかに答えていた。これも伝統を守る役割の一つなのかな、と思い僕も彼らを微笑ましい目で見ていた。ただ1人なので、それは小学生を見てニヤつく不審者だった。

 

 

そのあとは宿から一番近かった西本願寺とそのそばの東本願寺に行った。

ここではレアなものを目撃した。

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(この写真、西なのか東なのかわからん)

 

ここに着くまでの約1日半で既にフルマラソン級に歩いてる僕は流石にガス欠。ここで2時間くらい過ごした気がする。

ぼーっと御神体を見ているとスーツを着た男性が5.6人と住職が2人ほど歩いてきた。

そしてお賽銭を取り出し始めた。

あれって下の方に鍵がついてるんだね。結構古風な扉だった。なんか布みたいなものを下に敷いて、そこにお賽銭を全て落とす的なやり方だった。こういうのってあんまり見ちゃいけないところだと思ったし、1ヶ月前の記憶なんでだいぶあやふや。

 

畳の上で何も考えずに座り続けていると、色んなことが浮かんでは消えていく。特に浮世のことは。だけど、一つスパイスを加えて面白くするだけで、僕の妄想はどこまでも遠くに飛んでいったような気がした。そして人生もそんなもんなのかなぁかなんて思ったのがだらだらと過ごしていた上での結論だったような気がする。

 

 

本来はここから鴨川でだらだらする予定だっただけど、雨が降ったせいで行けなかった。

僕は一生に一度でいいから、鴨川の河川敷で彼女に膝枕をしてもらいたい。そして、彼女に朗読してもらいながら微睡みたい。読んでもらう本は何が良いかな。何かいい案ください。

 

 

このあとは僕の本来の目的であったライブ。

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磔磔」と書いて「はりはり」と読む、古民家を改造したような小さなライブハウス。中もさまざまな往年のミュージシャンのポスターやシールが壁を覆うように貼られていた。

ライブの話は気が向いたらまた書こう。語りすぎると良くないから。

ただ、折坂悠太というアーティストが、素晴らしい人間性を持っていること、それに相反するように歌わなければ生きていけない人間のような、強さと脆さを併せ持つ存在であることがすごく分かった。

ゲストのbutajiさんも、MCの途中で話していたバイセクシャルであるということを、自らの一つの個性としていて、人間性を通して曲を聴くことによって、それまで以上に伝えられる言葉を持っていることに、アーティストの素晴らしさを感じた。

とことん冷たいところを知っている人が紡ぐ、温かい言葉の強さを感じる素晴らしいライブだったな、と。

 

ライブ前から降っていた雨も、いつしか止んでいた。帰るまでは時間があったから、目的地に行くまでにもう少し散歩をしようと思った。行き先はもちろん鴨川。

その途中、こんなものを目にした。

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僕はアイドルオタクだが、それと同等に豆知識好きなので「あ、軍医もやっていた小説家、森鴎外の作品じゃん」となった。軍医は出てくる、仕方ない。

この川はどこから流れ、どこに繋がってるのか気になった。地図の話じゃないんだよ。ハイコンテクストでごめんね。日本人だからさ。

 

そして鴨川に到着。

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驚くことにカップルが1組もいなかった。キスでもしてれば僕はもう絶命してたから助かった。でも面白くないなとも思った。カップルは毎週一回はキスしろ。限られた愛の総量を削り合えよ。

 

 

夜の川は思った以上に真っ暗で、誰も僕のことを知らない京都の地に行くと、その暗さはより一層深く感じられた。ひとりぼっちであることに感動を覚えた。そしてもう間も無く、妄想も夢物語もない、現実に帰ることを否応なく実感させられた。

 

だけど僕は落ち込まなかった。また来ればいいだけだから。

良い旅でした。京都。

人間全員に必要な「逃げ場」。僕の京都もそうなったような気がします。