サイダーガール

 

 

あくまで記録用になんだけど、僕の心にまだこんな無垢な青色があったことに驚いて、どうしても書き留めておきたくなってしまった。

 

 

皆さんが思い思いの年越しを過ごされたと思います。本年もよろしくお願い致しますね。

 

 

僕の大晦日と言いますと、ガキ使を見ながら晩ご飯にお寿司を食べ、その後アウシュヴィッツに関する本を読んで、その後年越し蕎麦を食べた。中盤に少し疑問符がつくけれど、割に理想的な過ごし方だったと思う。

 

その後友人と神社に行く約束をしてたから合流。その近くにある寂れた商店街の時計台の前で年越し。なぜかクラッカーを鳴らしてた。変なのと思ったけど、お祝いごとに水を差すのは当方の趣味に合わない。毒づくのは自分の中だけでいいのよ。

元々合流した男3人と偶然あった女の子2人と一緒に神社に向かって、お参り。昨年の感謝を伝え、今年の見守りをお願いしてきた。ここまでいつものこと。問題はここから。

 

 

端的に結論だけ伝えよう。

初恋の人と遭遇した。

 

 

中学卒業以来、約8年ぶりの再会だった。僕が一方的に惚れてしまっただけだから、向こうはそんなに驚きはなかったのかと思う。

中学時代、3年間同じクラスで、一目惚れしてしまった。目や口、髪の毛、纏うものの全てにおいて、透明感が段違いだった。幼い顔つきに明るい声と小動物のような動き、ギャップとしての中身の大人っぷり、時折出る天然。全てが僕の理想の人だった。あと頭が良い。何より重要かもしれない。

 

田舎の芋臭い中学生だった僕はスマホも持たせてもらえず、高校で離れ離れになる彼女とは連絡先も交換できなかった。

 

 

一言目は彼女の「覚えてる?」だった。その瞬間、中学時代に一瞬フラッシュバックしたような感覚を覚えて、「初恋って薬物のようだな」と思った。大学もろくに行かず、大事なものなんてなかったように思えた僕に、純真さを思い出させてくれた彼女もやっぱり薬物だった。

 

元から身長が低い彼女はあまり変わっていないように見えた。そして綺麗な目や声は、やっぱり何も変わっていなくて、自意識に過敏になりながら、その扱い方に困っていた中学生の頃の自分を思い出して、そんなダサい自分を思い出させられてもなお、中学生に戻りたくなってしまった。

 

 

そこからは互いの近況報告。もちろん8年分なんて語りきれないから、表面ばかりの話。僕は日頃、内面が見えない肩書きの話なんてクソだと思っていたけど、彼女とならいくらでも話していられた。恋人の有無くらい聞いておけばよかった。

 

 

ちなみに僕は中学時代に一度告白して振られている。クラスでもそれなりに仲良くしていた女の子に振られると、次の日の学校は行きづらい。今の自分とは異なるベクトルの自意識が妙に尖りがちな中学生だから。

翌日の朝、彼女から「おはよう」と笑顔で言ってくれた時の喜び、その時の彼女の顔が今でも僕の1ページに大切に存在している。

 

 

やっぱり僕は彼女とは付き合えない。大事にしすぎてしまった思い出の蓋を強引に開くのは、当の本人であるあの子しかいなかった。だけど僕がその思い出、付随する感情と正対した時に中学時代の教室を思い出すことが出来たことに今でも驚いている。綺麗な思い出というピースを、綺麗な背景に収めることが出来た。まだまだ僕の性根も腐っていないやと思い出させてくれた。もしかしたら思い出したのではなく、彼女が僕に与えてくれたのかもしれない。

 

 

来年あの子はまだ生きているだろうか。Twitterで話題になっている「100日後に死ぬワニ」じゃないけれど、僕にとびきり上質かつ希少な「無垢」を与えてくれた彼女が元気に生きていけるか。僕は少し怖い。

だけど、彼女はすごく大きい。心の器のようなものが。もっと良い例えはあるんだろうけど浮かばない。僕なんかとは比べ物にならない大きなダイヤモンドを彼女は持っている。それを少しずつ削って、ラッピングして僕に与えてくれた、みたいな言い方が当てはまるのかな。

 

 

僕は情けない人間だから、多分彼女に何も与えられない。だからこそ彼女から貰ったダイヤモンドを思い出の1ページに添付しておく。失くしたらいけないものを貰ってしまったから。

 

 

帰宅しながら全てのものが素晴らしく思えた。田舎特有の人間付き合いとか、車がないと遊びに行けない田舎社会とか。そして何より地元があるということ。ここに戻ってくれば、僕はまだ純情を持って一生を送れるかもしれないと。都会の汚れた空気を浴びた僕の心が思った以上に腐っていて、そんなことを感じて見上げる夜空は、本当に辺りに街灯がないから、物凄く鮮明に、使い古された例えだけれど星が降ってくるように見えた。

街灯のせいにするのは良くないのかも。僕の心が綺麗になったのかもしれない。

 

 

ただ、大きな優しさだけじゃ人間はつまらない。少しの毒性が大切。だから、来年こそは「連絡先を聞きたい」っていう邪な考えを少しだけ持っておく。塩梅は間違えないように。

 

 

正直な気持ちを書くと、このブログも書き終わりたくない。僕はまだどこかで思い出にしたくないって思っているのだろう。未練がましいと言われるかもしれない。だけど最後にダサいことを言う。2020年だから許してほしい。「十年ひと昔」っていうから、そろそろダサいことがカッコよくなるでしょ?頼むよ流行。

僕はあの子に対しての未練じゃなく、初恋にまだ未練を残している。目に見えて水色の風が体をすり抜けたあの瞬間をもう一度思い出したくて、来年も地元に帰省する。

 

 

次に僕がこのブログを読む時には、もうオリンピックも終わっている。良い一年を過ごそう。