うんめいくん、4さい。

 

 

運命論者の僕がせいぜい抗えるのは、コンビニに売っているスイーツくらいだ。

 

そんな僕にもいくつか踏み外した運命の糸みたいな(?)ものがある。

今になって思えば、運命論者気取りの僕から見れば、こんな僕みたいなちっぽけな人間がいるちっぽけな世界から見れば、

たかが小石を踏み外したに過ぎないけれど、かつての僕は辺りを見回しても青々と茂る、手入れのされていない雑草のような日常しか目に入らず、もちろんそんな悪臭からの逃げ出し方も分からなかった。

 

僕には幼なじみの美少女がいない。いたのは女の子みたいな顔と言われている、髪の長い男の子だった。保育園から高校まで、基本一緒だった。僕は小学1年生の時に虐められて転校した。その一年だけ違った。この話はあまり覚えてないんだ。僕の根っこだと思うんだけどね。残念だ。

僕の中にはシニカルを気取ったダサい男、つまり村上春樹作品の青年みたいな内面と、土臭く熱苦しい田舎男子のメンタルが同居して、それが他人にそこまで気づかれることもなく、自分が自然にスイッチを切り替えている。別に僕はやれやれ言いながらマスターベーションもしないし、黴臭い体育倉庫でセックスもしないが。

 

ともあれ僕の人生に美少女の幼なじみがいないことは大きな汚点だ。この際、別に美少女じゃなくてもいいや。運命論者の僕は、距離や出会いの始まり、そういったハートディスタンスによって、あっという間に幼なじみが大切な存在へと変わっていくんだろうから。

 

僕はそんな女の子みたいな顔をした幼なじみと、中学時代は相当の時間を過ごした。2人で過ごすだけでなく、男女混じり合っての会話も気楽に行えるようになっていた。これが中学時代にどのようなヒエラルキーの高さを示すかがなんとなく分かる。その中に僕が恋をした、すばらしい女の子もいたから。

 

 

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その友人とも久しく会わなくなった。僕の地元は鳥取市みたいな感じの、ジャスコしか遊ぶ場所がないようなところだ。「薄汚いプリクラではしゃぐ田舎の女は三流だ」みたいな話は既にしてたはず。

そんな土地だから、帰省した時にふらふら歩いてると昔の友人に会うこともある。

この前の帰省で、その幼馴染と偶然出会った。彼は市役所で働いているらしい。僕は急いでいなかったけど、彼との空間がとにかく気まずかった。僕は留年生だった。

 

まあ留年していることと気まずかったことなんて、本当に関係がない。僕は自分の留年を恥だと思ってないから。

 

ただ、互いに仲良く話していた中学時代のあの時間を、再び呼び起こすにはあまりにも時が経ち過ぎていた。この一点が大きいと思う。

 

本来なら、こういった幼馴染みは一生の付き合いになるんだろうな。そして僕はそれを大事に地元に根を張って、高校時代の彼女と結婚とかしていたんだろうな。それは僕が求めていないだけで、そこそこ多くの人が欲しいものなんだろうな。

 

申し訳ない。僕は飽きが怖いんだ。

 

 

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@http0420

 

 

2020年にもなってネットいじめについて議論してる社会、ヤバイと思った方がいいよマジで。僕はある程度のバカも含めて、ちゃんと社会を見れるようになりたいな、と思っているんだけれど、そろそろそれも放置しようかと思った。また自分の殻に閉じこもって、井の中も外も知らない、肥えた山椒魚になろうかな、なんて。僕はもし外に出られなくても、それはそれでいいタイプなんだ。